草稿
創作の作業場。ネタや草稿を書き散らすところ。
1
午後の日差しが、石柱の並ぶ回廊を明るく照らしていた。
空は高く、雲は優しい色合いの青に溶け入るようにして緩やかに北から南へと流れていく。花々の咲き乱れる中庭を、涼やかな初夏の風が吹き抜けた。
人気はない。
かつてはこの塔の主に仕える使用人の女たちが、思い思いに休息の時を過ごしていたという小さな庭。時には、主人そのひとが気まぐれに花を愛で木陰で書物を開く時もあったらしい。
半年前までは、それが当たり前の光景だったという。
ヴァラシュは知らない。彼はその当たり前が崩壊してから、この地を踏んだ。今、美しいはずの中庭にはどこか重苦しい空気が沈殿しているように見えた。
「カート。帰っていたのか」
行き会ったのは、同僚の騎士だった。一ヶ月に及ぶ捜索任務から昨日帰還したばかりのヴァラシュは、「ああ」と短く応えて通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
「……エイドリーズは相変わらず?」
「まあな。仕事はこなしてるんだが、それ以外はほとんど自室に篭りきりだ。飯もまともに食ってないんじゃないか」
「そう。……悪いね、ありがとう」
男と別れ、ヴァラシュは足先を反転させた。
食堂へ向かうつもりだったが、気が変わった。
空腹を訴える腹にもう少し待てと言い聞かせ、彼は自室のある左翼の棟を目指す。途中、何人かの同僚たちと顔を合わせたが、どの顔にも諦観の色が滲んでいることに苦く笑った。これでは、ルッツが無駄に出歩きたくなくなるのもわからないでもなかった。
自室として与えられはしたものの、殆ど寝るばかりにしか使用していない部屋を通り過ぎ、斜向かいの扉を叩く。数秒後、億劫そうながらも律儀な声が微かに応えた。
「俺だよ、ヴァラシュ。入るよ」
扉を押し開き、ヴァラシュは室内へ入った。
騎士たちに与えられる部屋は、どれも似たり寄ったりの作りだ。
少々手狭な空間に、薄っぺらい灰色の絨毯と書き物机、骨董と言ってもいい程に古臭い寝台と衣装箪笥が置かれている。長くここにいる者の中には、給料で自分好みの家具や壁紙を揃える騎士もいるが、生まれた時から塔暮らしのはずのルッツ・エイドリーズの自室は、全く手を加えられた形跡がなかった。変化といえば安物の本棚が寝台の隣にちょこんと鎮座しているくらいで、しかしルッツ自身の性格を反映したように清潔で秩序に溢れた部屋だった。
それも今は、少し雑然として感じられる。物が少ないのにそう感じるということは、つまりルッツの精神が常と異なる証左に他ならない。
「……何しに来たんだ、カート。今日は休暇のはずだろう」
淡々として、感情による揺れの少ない声音だった。
ルッツは窓辺の椅子に腰かけていた。ヴァラシュからは、その顔は見えない。
「まあね。久しぶりに日が昇りきるまで寝たよ」
数歩寄れば、ルッツは目線だけで背後のヴァラシュを振り仰いだ。頬骨の高い顔の輪郭は、一ヶ月前よりも鋭利に見える。その目の、不思議な静けさ。奥底には押し殺した激情がちりちりと燻り続けていることを、ヴァラシュは知っている。
「君さ、どうせまた今日もご飯まだ食べてないんでしょ。わざわざ誘いに来てやったんじゃない」
「放っておいてくれ」
「やだよ。ほら、まーた痩せちゃってさ。行くよ、ルッツ」
「名前で呼ばないでくれ。いつ僕らはそこまで親しくなった」
空は高く、雲は優しい色合いの青に溶け入るようにして緩やかに北から南へと流れていく。花々の咲き乱れる中庭を、涼やかな初夏の風が吹き抜けた。
人気はない。
かつてはこの塔の主に仕える使用人の女たちが、思い思いに休息の時を過ごしていたという小さな庭。時には、主人そのひとが気まぐれに花を愛で木陰で書物を開く時もあったらしい。
半年前までは、それが当たり前の光景だったという。
ヴァラシュは知らない。彼はその当たり前が崩壊してから、この地を踏んだ。今、美しいはずの中庭にはどこか重苦しい空気が沈殿しているように見えた。
「カート。帰っていたのか」
行き会ったのは、同僚の騎士だった。一ヶ月に及ぶ捜索任務から昨日帰還したばかりのヴァラシュは、「ああ」と短く応えて通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
「……エイドリーズは相変わらず?」
「まあな。仕事はこなしてるんだが、それ以外はほとんど自室に篭りきりだ。飯もまともに食ってないんじゃないか」
「そう。……悪いね、ありがとう」
男と別れ、ヴァラシュは足先を反転させた。
食堂へ向かうつもりだったが、気が変わった。
空腹を訴える腹にもう少し待てと言い聞かせ、彼は自室のある左翼の棟を目指す。途中、何人かの同僚たちと顔を合わせたが、どの顔にも諦観の色が滲んでいることに苦く笑った。これでは、ルッツが無駄に出歩きたくなくなるのもわからないでもなかった。
自室として与えられはしたものの、殆ど寝るばかりにしか使用していない部屋を通り過ぎ、斜向かいの扉を叩く。数秒後、億劫そうながらも律儀な声が微かに応えた。
「俺だよ、ヴァラシュ。入るよ」
扉を押し開き、ヴァラシュは室内へ入った。
騎士たちに与えられる部屋は、どれも似たり寄ったりの作りだ。
少々手狭な空間に、薄っぺらい灰色の絨毯と書き物机、骨董と言ってもいい程に古臭い寝台と衣装箪笥が置かれている。長くここにいる者の中には、給料で自分好みの家具や壁紙を揃える騎士もいるが、生まれた時から塔暮らしのはずのルッツ・エイドリーズの自室は、全く手を加えられた形跡がなかった。変化といえば安物の本棚が寝台の隣にちょこんと鎮座しているくらいで、しかしルッツ自身の性格を反映したように清潔で秩序に溢れた部屋だった。
それも今は、少し雑然として感じられる。物が少ないのにそう感じるということは、つまりルッツの精神が常と異なる証左に他ならない。
「……何しに来たんだ、カート。今日は休暇のはずだろう」
淡々として、感情による揺れの少ない声音だった。
ルッツは窓辺の椅子に腰かけていた。ヴァラシュからは、その顔は見えない。
「まあね。久しぶりに日が昇りきるまで寝たよ」
数歩寄れば、ルッツは目線だけで背後のヴァラシュを振り仰いだ。頬骨の高い顔の輪郭は、一ヶ月前よりも鋭利に見える。その目の、不思議な静けさ。奥底には押し殺した激情がちりちりと燻り続けていることを、ヴァラシュは知っている。
「君さ、どうせまた今日もご飯まだ食べてないんでしょ。わざわざ誘いに来てやったんじゃない」
「放っておいてくれ」
「やだよ。ほら、まーた痩せちゃってさ。行くよ、ルッツ」
「名前で呼ばないでくれ。いつ僕らはそこまで親しくなった」
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